梅林建設は明治35年に創業し、草創期の鉄道建設から始まり現代の高層建築物へとその実績を着実に積み重ね、平成14年5月に創業100周年、平成24年5月には創業110周年を迎えることができました。この110年はわが国にとって波乱と激動の時代であり有為転変する時の流れの中で、多くの先人たちが幾多の試練と苦難を乗り越えた偉業を振り返る時、深い感慨と感謝の念を抱かずにはおれません。これからもお客様の信頼を最優先に経営改革を進め、地域社会に貢献するサスティナブルな企業経営で社会的責任を果たしていきます。
歴代社長
  • 創業者・初代 梅林 宇十郎 (明治35年~昭和15年)
  • 第2代 梅林 時雄 (昭和15年~18年)
  • 第3代 三橋 藤吉 (昭和18年~21年)
  • 第4代 梅林 襄 (昭和21年~58年)
  • 第5代 梅林 秀伍 (昭和58年~現代)
基本理念 当社の創業者であり初代社長でもある梅林宇十郎は、誠実かつ堅実な人柄だった。仕事を一つひとつ確実に仕上げて実績を積み、注文主の信頼を得ていくというのが宇十郎の基本的な経営理念だった。そうした堅実経営や慎重姿勢は代々受け継がれ、今日の当社の基本理念となっている。
  • 明治・大正のあゆみ
  • 昭和戦前のあゆみ
  • 昭和戦後のあゆみ
  • 平成のあゆみ
明治・大正の歩み
明治12年 創業者梅林宇十郎、福岡県吉富町に生まれる
明治32年

大きな転機となった門司港桟橋工事

梅林宇十郎は少年のころから大工の見習いとなり早くから手に職を付ける道を選んだ。転機を迎えたのは20歳の時に九州の玄関口である門司港桟橋の浮き桟橋の一部を施工し、鉄道建設という近代国家建設の大事業に足を踏み込んだのが大きな契機となった。以後、宇十郎は鉄道建設に深く関わっていくことになり、当社100年の歴史の中でも重要な一歩と言うことがいえる。
明治中頃の門司の町
明治35年

梅林宇十郎が独立して個人経営で建設業を始めた

独立、最初の工事は京都府の舞鶴鉄道福知山建築事務所の建設

独立して個人経営で建設業を始めたのは明治35年5月、その3ヶ月後に遠く離れた京都府の舞鶴鉄道福知山建築事務所の建設を請け負った。工事内容は鉄道建設そのものではなく事務所や官舎などの建設で明治36年1月に完成。引き続いて2月から同じ舞鶴線の第3工区の工事を請け負い梅迫停車場のほか幾つかの橋梁工事も手掛けた。
創業当時の福知山駅(京都府)
明治37年 中国地方の鉄道工事を手がける
明治41年 山陰西線の土工及び線路敷設工事を手がける
明治45年 福島県や房総半島でも工事を手がける
大正4年 津和野線の工事を手がける
大正8年 日豊本線(佐伯-延岡)の工事を手がける
大正9年 久大線の工事を手がける
大正13年 熱海線(東海道線)と首都圏の鉄道関連施設工事を手がける
  • 橋脚の建設工事
  • 久大線の建設工事の視察
  • 山陰線の鉄橋工事
  • 兵庫県浜坂での山陰線建設工事
  • 日豊北線(現日豊線)北川橋梁の工事(大正8年ごろ)
  • 熱海線の鉄橋
  • 明治・大正のあゆみ
  • 昭和戦前のあゆみ
  • 昭和戦後のあゆみ
  • 平成のあゆみ
昭和戦前の歩み
昭和2年

群馬水電松谷発電所の建設工事

これまでの鉄道建設とそれに付随した建屋の建築工事中心の施工から、発電所やダム、橋梁、道路などに移行する最初の請負工事である。その意味でこの松谷発電所の建設工事は当社の100年の歴史の中でも重要な位置を占めている。
群馬水電松谷発電所の前景
昭和6年

「梅林組」の発足

昭和6年5月、これまでの個人経営から正式に”梅林組”を組織し、県庁所在地である大分市に本社を置き、梅林家の家紋を社章に制定した。
梅林宇十郎が本拠を置いた 昭和6,7年ごろの大分市

佐伯海軍航空隊の建設

これまで鉄道建設を中心に施工してきたが当社にとって初の土木建築工事であり、総合建設業に脱皮する第一歩と言え、この後九州各地の海軍関係施設の建設に深く関わるようになる。
佐伯海軍航空隊の前に立つ梅林宇十郎(右)
昭和10年

呉、佐世保、大分、宇佐などの海軍基地建設

佐伯海軍航空隊の基地建設に次ぎ海軍関係の工事を次々に受注。大分海軍航空隊の建設工事では東大分町の海岸に近い農地を整地し1200mの滑走路と兵舎などを建設。また宇佐海軍航空隊の建設工事では約2000mの滑走路と木造2階建てのスマートな庁舎、6つの格納庫、兵舎病院などを建設した。
大分海軍航空隊の開隊式
昭和11年

八幡製鉄所の増産態勢づくりに携わる

昭和10年代に入ると戦時色が濃厚となり、生産活動も軍需物資が最優先され、日本製鉄八幡製鉄所の生産増強設備の建設に関わった。
八幡製鉄所
昭和14年

福岡県の陸軍芦屋飛行場建設

玄界灘に面した福岡県芦屋町の三里松原で陸軍の飛行場建設が始まった。1500mの滑走路や1500人収容の隊舎など総面積約128ヘクタールの九州北部最大の陸軍飛行場を当社が全面的に請け負った。 当時は人力に頼る以外になく重労働の連続で関係者の苦労は並大抵ではなかったが、整地作業では当時としては珍しい石灰を燃やし発生させた蒸気でエンジンを回すスチームエンジンシャベルを使用した。
スチームエンジンシャベルを使用
陸軍芦屋飛行場の建設工事
昭和15年

株式会社梅林組の発足、梅林宇十郎が初代社長に就任

後に2代目社長に梅林時雄が就任

大阪支店 開設

昭和16年

宇佐神宮の「昭和の大御造営」

大御造営の中心的な役割を果たしたのは宮大工と呼ばれる神社仏閣を専門とする職人や、専門家を多く抱える建築業者であったが当社もこの昭和の御造営に関わり、幾つかの工事を施工している。

鉄道工事請負の変遷と当社の位置

土木階級別地区割表では1級6社、2級17社、3級19社、4級26社の計68社が決められており、当社は2級指定請負人に指定され当社の経歴や経営内容が高く評価されていた。
昭和の御造営直後の宇佐神宮
昭和17年 梅林土木株式会社に改称
昭和18年 3代目社長に三橋藤吉が就任
  • 明治・大正のあゆみ
  • 昭和戦前のあゆみ
  • 昭和戦後のあゆみ
  • 平成のあゆみ
昭和戦後の歩み
昭和21年

4代目社長に梅林襄が就任

福岡支店 開設

熊本支店 開設

米軍第5戦闘隊第3基地(旧陸軍芦屋飛行場)建設

別府の米軍キャンプ建設

昭和22年元旦の記念撮影
昭和22年 東京支店 開設
昭和23年 インフラ整備、大野川河水統制事業を着手
昭和24年 資本金を1500万円に増資
昭和27年

昭和井路松岡支線工事

全体計画は大野川の両岸に第1、第2の2本の幹線井路を通し、さらに13本の支線を張り巡らせ畑地を灌漑するもので、当社は松岡支線の建設に着手したのを皮切りに同支線の第3期工事と第4期工事を施工した。

富士緒井路サイフォン工事

富士緒井路は現在の緒方町の畑地を灌漑するために計画された井路で、当社は富士緒井路のサイフォン工事を施工したのに引き続き翌年には土地改良工事を施工した。さらに同第2期工事や同第3期工事も行った。
人力で土を固める作業
昭和28年

宮崎営業所 開設

資本金を5000万円に増資

昭和29年
県営芹川発電所建設工事芹川発電所に設置する発電機の運搬作業
大分市の舞鶴橋建設工事大分市の舞鶴橋の架け替え工事
昭和32年
旧大分空港が完成芹川発電所に設置する発電機の運搬作業
住友銀行大分支店が完成大分市の舞鶴橋の架け替え工事

別府タワーが完成

30年代に当社が施工した商業・観光施設の代表は別府市の別府タワーである。別府観光株式会社様がシンボルとなる観光施設を計画。早稲田大学の内藤多仲教授に設計を依頼、当社がその主要部分を施工し完成した。別府湾はもとより国東半島や大分市、佐賀関などが一望でき、別府の代表的な観光名所となった。
昭和35年

梅林建設株式会社に改称

資本金を1億円に増資

昭和37年
首都圏での高速道路工事に着手首都高速4号線千鳥ヶ渕高架橋
新幹線工事に着手 東海道新幹線瑞光高架橋工事

西日本最大級の偉容を誇る大分県庁舎完成

優れた施工技術と設計デザインなどが各方面から高く評価され、全日本建設技術協会全建賞や日本建築学会作品賞、建設省建築コンクール第1位などの栄誉に輝いた。当社にとってもかつてない大規模工事をやり遂げたことで、大きな実績を残すとともに自信と信頼を築くことができた。
スチームエンジンシャベルを使用
陸軍芦屋飛行場の建設工事
昭和38年

北川ダム完成

アーチ式(ドーム型)の北川ダムは全国でも珍しいつくりであり、戦後最大の大分県発注工事で当社が施工した数多くのダムの中でもメモリアル的ダムである。

大分県農業会館完成

当時、大分市内では大分県庁舎に次ぐ規模の大きな建物

中の谷トンネル開通

大分県内初の有料道路が開通
昭和39年

資本金を1億5000万円に増資

別府駅の高架橋新設工事に着手

明治44年に開業した別府駅は老朽化し線路が中心市街地を分断していたため、高架による改築が行われた。当社は駅南口から富士見通り踏切までの長さ392mの高架橋建設工事を請け負った。
別府駅の高架化工事
昭和40年

弁天大橋が完成

当社は大分川にかかる橋の数々を施工した。 上流から明磧橋、府内大橋、滝尾鉄道橋、滝尾橋、舞鶴橋、そして大分国体に備えて建設した弁天大橋が完成した。
別府駅の高架化工事
  • 亀の井ホテルが完成橋脚の建設工事
  • 大分文化会館が完成久大線の建設工事の視察
  • 芦屋町民会館が完成山陰線の鉄橋工事
昭和43年

広島支店 開設

資本金を2億円に増資

新大分空港が完成
大分県総合庁舎が完成
昭和48年

本社を金池町から舞鶴町に移転

高松営業所 開設

資本金を3億円に増資

  • 北条青少年スポーツセンターが完成橋脚の建設工事

  • 大分市福宗清掃工場が完成久大線の建設工事の視察

  • 犀川町庁舎が完成山陰線の鉄橋工事
東国東地域広域国保総合病院が完成 首都高速4号線千鳥ヶ渕高架橋
大分市中央卸売市場が完成 東海道新幹線瑞光高架橋工事
昭和52年

沖縄営業所 開設

リニア実験線高架橋が完成
大分県立芸術会館が完成
大分県内初の本格的な芸術の殿堂である大分県立芸術館を建設。さらには収蔵庫や展示用備品収蔵庫なども建設した。
昭和53年 鹿児島営業所 開設
昭和54年

資本金を4億5000万円に増資


  • 松島火力発電所が完成
  • 大分医科大学基礎
    ・臨床研究棟が完成
  • 湯布院ハイツ健康管理棟が
    完成
昭和57年 宮崎、鹿児島両営業所を支店に改称
昭和58年 5代目社長に梅林秀伍が就任
耶馬溪ダムが完成
別府市庁舎が完成
昭和63年

HOPE88建築デザイン賞を受賞

同賞は個性を生かしながら、町並みや自然とマッチした建築物に贈られ、当社が施工したI邸が受賞した。
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平成のあゆみ
平成3年

英語の社名を「UMEBAYASHI CORPORATION」に

21世紀への戦略「ウメバヤシ クリエイティブ21」をスタート

平成4年

西高尾ダム作業所が農林水産大臣表彰を受賞

鳥取県東伯郡大栄町の西高尾ダム作業所が優良工事施工作業所として農林水産大臣表彰を受けた。西高尾ダムは東伯水利事業に基づき畑地灌漑のために建設したもので、効率的な施工と徹底した安全管理が高い評価を受けた。
平成5年

大分合同新聞文化賞特別功労賞を受賞

建設業を通じて大分県の産業・経済や文化の発展に寄与したことが高く評価されました。

大分平成の塔が完成

大分市出身の著名な建築家磯崎新氏のデザインで、郷土の先覚者三浦梅園の自然・宇宙論をモチーフにしたもの。円形の台座に陰と陽を表現する円柱が6本立ち、その中に2本の頂部に挟まれた刀形の先端は北極星を指していると言われ、大分県の限りない発展を象徴したもの。
  • 横浜横須賀道路
    長浜トンネルが完成

  • 二階堂美術館が完成

  • 竹田市庁舎が完成
平成9年

品質 ISO9001:1994認証取得

大分県立看護科学大学が完成

21世紀の高齢化社会に向けて、地域保健医療を担う中核的看護職員を養成する四年生の単科大学として、大分県立看護科学大学が新設された。 当社は4工区あるうちの第2工区を請け負い、図書館食堂棟と講義棟、キャンパスプロムナードを建設した。
平成10年

公共建築100選に2件選ばれる

選定は建築技術やデザイン、施設の運営状況、地域の社会貢献などを基準に建設省が省創立50周年を記念して募集。大分県内4件のうち2件が当社施工で、当社の高い建築技術が評価された。
大分県庁(昭和37年施工)
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平成12年

第4回環境レポート大賞優秀賞を受賞

企業の環境情報公開や自主的な環境保全活動の促進を目的とする「環境レポート大賞」(財団法人地球・人間環境フォーラム・社団法人全国環境保全推進連合会主催)で、環境行動計画部門において大賞に次ぐ「優秀賞」を受賞しました。
サッポロビール(株)九州工場が完成
中津合同庁舎が完成.
平成13年 リニューアル本部を設置し、「リニューアル・トータルサポート・システム」を構築
平成14年

創業100年

梅林建設が創業100年を迎えることができたのは地域の皆様方のおかげです。感謝の気持ちを社会福祉に役立ていただきたく創業100周年を記念して大分合同福祉事業団に寄託いたしました。
平成15年
NS大分ビル(PFI事業)が完成
大分県内初のPFI方式による公共事業として、当社はNS大分ビルの建設を請け負った。
大分県農業会館の耐震化が完成
昭和38年竣工(当社施工)の建物を新耐震基準に対応するため、アウトフレーム工法による外壁の耐震補強工事を行った。
平成17年

環境 ISO14001:2004認証取得

大分市鶴崎市民行政センター
(PFI事業)が完成大分県庁(昭和37年施工)
大分市稙田市民行政センター
(PFI事業)が完成.
大分市鶴崎市民行政センター、大分市稙田市民行政センターの両現場で
日本PFI協会の「地域完結型PFI賞」を受賞
平成20年

稙田新都心中央土地区画整理事業が完成

当地区は、大分市の中心市街地から南方約6kmに位置する緑豊かな田園地帯で、区画整理事業により「商業・文化・歴史・自然」が融合調和した新都心(交通ふれあい都心)として、機能に満ちあふれた市街地に変貌を遂げた。
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平成21年

賀来西土地区画整理事業が完成

当地区は、大分市の中心市街地から南西約5㎞に位置する県道とJR久大本線に囲まれた田園地帯で、土地区画整理事業により新たに道路、河川等、公共施設の整備改善を図り、緑に包まれた快適な居住空間として変貌を遂げた。
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平成24年

大分駅高架事業が完成

大分市中心市街地は鉄道により南北に分断されていたため、都市交通の円滑化と都心機能強化を目的とした高架事業が行われた。
当社は、平成10年に大分高架工事、平成18年に大分駅部の新設工事、平成21年には春日陸橋の撤去工事を着手。その他にも駅周辺の整備工事などを手掛け、平成24年3月にJR大分駅は全面高架化となった。
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創業110年

受け継がれてきた技術を よりよい未来のために
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